2013年6月8日土曜日

06:08:2013 パート320


パート320

2013年6月8日

 

The manuscript of survival – part 320


 

昼夜ともにシフトが起こり拡大し続けています。それについてゆくのに苦労している人々も多くいることでしょう。いまは何もかもが不安定です。光の速度も、一時間、一秒の長さも変わりやすくなっています。このプロセスは流動的、というのがピッタリです。皆さんが慣れ親しんできた自然の限界は、もはや効力を持たないのです。

 

説明しましょう。皆さんがお気づきの通り、皆さんの中に入ってくる光、皆さんを通して流れている光は皆さんの肉体の全細胞に影響を与えていますが、皆さんの周囲の環境にも影響を与えています。人類はとても厳密に定義された環境で生きることに慣れていますが、そこには皆さんの周りの全てのものを統制するいわゆる自然の法則も含まれています。さて、私達はそれを言い換えましょう。皆さんの周りの全てのものをこれまで統制していたもの、と。皆さんの時間の概念は、もう厳密に物理的・直線的な概念ではなくなっていませんか?昨日を振り返ってみてください。いっそ、先週も振り返ってみてください。どれほどの時間が経っているか、実感はあるでしょうか。「昨日」や「先週」のことを簡単に考えられますか?こう言うと混乱してくるかもしれませんが、皆さんが「昔」やっていたように何日間かのことを一連に順序立てて考えようとすると、もっと混乱を生じるのではないでしょうか。

 

つまり、皆さんの内側にある時間の感覚・一線的な感覚を以前の皆さん、「普通の人間」としか定義できなかった頃の感覚と比べてみれば、私達の言わんとしていることがおわかりになるはずです。皆さんは真なる自己の内へと足を踏み入れるにつれ、いわゆる「普通の生活」の境界線の外側へと足を踏み出してもいるのです。もし「普通の生活」を定義するものが一つあるとすれば、それは皆さんの時計とカレンダーによって設定された厳密なルールです。古いシステムを作動させていたのは「ぜんまい仕掛け」によるものです。さて、皆さんはまだその「ぜんまい仕掛け」の一部でしょうか、それともその境界線から外に踏み出すことで得られる自由の感覚を手に入れましたか?

 

親愛なる友人の皆さん、これは解放なのです、いかなるものであろうと厳密な制限に皆さんを閉じ込めようとするもの・人、全てからの解放です。それは時間のような物差しかもしれませんし、皆さんの内で「普通の行動」だとか「自然の限界」と呼び、肉体を持つ人間という存在を定義してしまっているものかもしれません。さて、もう古い「ルール」はもう当てはまらないという考えにはそろそろ慣れてきたころですね。実際、皆さんは全てにおいて限界はないのです。そしていま、言葉の意味を真に探究する時が来ていますから、たくさんの混乱が生じることでしょう。思い出してください、皆さんの肉体と精神はいつも慣れ親しんだ水の中を航行する習慣があります。大昔に設定されたルートを進もうとするのです。皆さんの内も、外界においてもです。しかし、境界という境界、制限という制限が光によって押し流され、皆さんは広漠としたオープン・スペースにおかれて圧倒するかもしれません。そこには従うべき原則も何もありません。思い出してください、この広大なる可能性のオープンなプレーンを探検するのは皆さん一人一人です。すぐに質問が聞こえます、「どこから始めたらいいの?」と。この概念自体がとても手ごわいので無気力になるか、始めることすらできないかもしれませんね。ですからこう言いましょう、ただその中に飛び込んでください。皆さんの昔からの友人、皆さん自身と繋がり、皆さんの玄関先にあるものから何でも探究を始めていただきたいのです。親愛なる皆さん、思い出してください、隠された宝物を探すために遠くまで出かける必要はありません。それは皆さんの目の前にあります。一つ目の宝を見つけるために外に出る必要すらありません。

 

 

 

 

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